ブラック校則と民主主義
2019年12月10日朝に放送のNHK「おはよう日本」では「理不尽な校則」というトピックで岐阜県高山市の進学校「岐阜県立斐太(ひだ)高校」の事例をNHK岐阜𠮷川裕基記者が報告していた。
冬に冷え込む山深い高山市では女子が素足でスカートという姿では寒い。しかし創立130年をかぞえる斐太高校では校則でストッキングやタイツの色は「ベージュ」のみしか認められていない。女子生徒はベージュのストッキングを履くのは恥ずかしいということから寒くても素足を選ぶ苦しみを感じていた。恥ずかしく感じない黒のストッキングを履きたいのに、校則がそれを許さない。
そこで生徒会は校長に校則変更を認めて欲しいと申し出たが、滝村昌也校長は「どれだけの人がそれを望んでいるのが分からないから認められない」と拒否回答した。
そこで生徒会は生徒と保護者向けのアンケートを取り、1300人余りの回答を得て、9割近くの「校則改正賛成」の結果を得た。ところが校長は「見た目については主観の問題で校則改正は認められない」として改めて改正拒否したのだった。
ここからの放送部分に描かれるストーリーが私には理解不能だった。これは「理不尽な校則」という主題よりも「(一校長の主観による)理不尽な拒否」という主題にすべき案件である。校長は「校則を覆すだけの理由が出てこなかった」と述べているが「覆さないだけの理由がどこにあると?」と問い返すのがジャーナリズムなのではないか?
最終的に校則は校長から「保護者と卒業生を交えた校則を検討する会議」を設置してそこで審議されて校則改正したとして生徒の喜ぶ姿を描いて終わるのだが、そもそも改正を求めた「生徒会」は民主的な選挙で選ばれている限り正当な代表者である。正当な代表者の正当な請求を何でその場で思いついたような、どういう正当な手続で選んだか不透明な「卒業生代表」という一握りの人を加える必要があったのか。
今年(2020年)53歳になる見込みの私の経験を持ち出すのは古すぎると言われるだろうが、同じ日本国憲法と国際人権規約の下で生きている主権者として私の育った母校の民主主義と比べて生徒達の大人に対する従順すぎる行動が不思議でならない。私は今の母校がどうなっているかについては語る情報を持っていない。しかし私が生きた時代の母校、岩手県立盛岡第一高等学校と、弘前大学北鷹寮という二つの自治会を経験した者として、人一倍民主主義には熱意を持ってその時代を生きていた自負はある。
今の盛岡一高に修学旅行が復活しているかどうか知らないが、私の時代にも修学旅行は無かった。決して進学校だから遊ばせられないという理由で修学旅行が無いわけではない。かつて盛岡一高にも修学旅行はあった。教師の側からその行き先を「京都」と強要してきて、生徒会側は「京都は進学すれば行く所だからわざわざ修学旅行で行く意味がない」とそれを拒絶した。「それなら修学旅行を中止するぞ」と教師側が脅したのに反発して「脅しに屈する訳にはいかない。中止するならどうぞ中止せよ。我々は京都に行かない。」という教師vs生徒会の激しい喧嘩の末に修学旅行が無くなったのだ。
学校行事はそもそも生徒会が全て企画運営していた。校則はあったが「1)制服を着用すること。2)法律を守ること。」程度の内容しか書かれていない。校訓は「忠実自彊、質実剛健」であり、大人に屈するようなヤワな生き方をしないことが伝統であった。髪の毛の長さも色もスカートの長さも問われない。女子が化粧していようとそんなことでとやかく教師側から言われない。自主自立(自律)の精神で生きる校風が守られていた。だから岐阜県立斐太高校のような問題などそもそも最初のアンケートを校長が拒絶した時点で生徒がストライキして抵抗するぐらいの気概があった。
そして私の過ごした弘前大学北鷹(ほくおう)寮という自治会も同様である。他の大学の学生寮とか、勤め先の社員寮などで、設置者の決めた規則を守る以外に居住権を得られないところは多いかもしれない。しかし京都大学の吉田寮同様、学生の自主自立(自律)な自治会が寮則を定め、行事を運営し、入寮希望者の選定を行う「自治寮」であった。男子寮として他に北溟(ほくめい)寮、女子寮として朋(ほう)寮の3寮合わせて学生寮自治会連合(寮連)を結成し、寮連は大学が学内の問題を協議する際に正当な学生側交渉代表としての位置付けに組み込まれていた。昔は全国学生寮連合とかいう「全寮連」の組織に参加していたが、全寮連が明らかに一政党の下部組織となっていたことから、私たちが入寮して以降、全寮連を脱退して独立した学生寮に変わった歴史を持っている。私は結果的にそこで北鷹寮の第42期寮長として寮の行事決定に関する大きな方針変更を行い、その議論の際には反対派学生から殴るとか刃物を突き立てられるような激しい反発を受けるほどの抵抗を受けた。そこまでして守った自治会への自負は大きい。
京大吉田寮も老朽化した寮の建て替えに関して大学側と揉めている。学生寮に限らず、立て看板でも権力者側から撤去の圧力を受けている。それを跳ね返すほどの動きが市民の中に拡がらない。京都市長選もほぼ半分の人たちが棄権した。民主主義を守る為に香港の若者達は立ち上がり強大な中華人民共和国の共産党一党支配と闘っている。私が大学生時代には天安門事件もあった。台湾(中華民国)では総統選で一国二制度を拒絶する蔡英文総統が引き続き選挙で勝っている。翻って日本では権力者に逆らうことが罪であるかのような国民性が染みこんでいて半数以上が選挙を棄権する。中小企業は「経営者は自民党を応援するのが当然」という珍妙な経営者マインドに囚われて安倍晋三のポスターを職場に掲げて営業する。そしてみすみす不景気を20年以上も続けて倒産して行く。
自分の足で立ち上がり、自分の意志で自分の運命を決められない、空気を読むという風任せな無責任な生き方で良いのか?大学合格するかしないかばかり注目して、大学を卒業出来るかどうかは気にしない(卒業させてもらえるのが当たり前と思って就活に励む)風潮はおかしくないか?大学側も就職の世話をする係を用意している。そもそも学生が真っ当に学び研究しなければ卒業さえ危ういという切迫感があれば大学の講義を休んで就活したり、内定式に出たりしないもの。大学卒業者の新卒一括採用で、同期との比較を気にし、自分より若い者が上に立つことに不平を抱き、女が男より上に立つことぐらいで働く意欲を失う奴ら。ずっとそんな人間達と闘ってきた。
今、国会では違法行為・違憲行為に走る安倍政権を誰も止められないでいる。彼は自分の与える利益で懐く一部の友人達と宴会三昧。一つ前のメキシコ大統領とかマルコス元フィリピン大統領のような豪邸生活を楽しみ、庶民のおにぎり一つにさえ10円の罰金をかけて吸い上げる。
私は今、生活保護世帯だ。働く意欲はあって、私のような障害者でも障害者枠で受けられる公務員試験に応募した。しかし富士宮市福祉事務所は私の受験を妨害し、生活保護制度で備わっている就職活動にかかる旅費宿泊費の支給を拒んで受験を不可能にした。自ら働いて生活を賄うことを妨害しながら、なけなしの保護費で故障した洗濯機や冷蔵庫という大金を払わなければ買えない生活必需品を自力で賄えと強いる。何かのサービスで得られる一回数円相当の買い物のポイントを現金化しただけでもそれを1円の単位で申告する義務を負わせている。月8千円まではそういう自力で得た収入は保護費を削らずに追加収入として認められるがそれ以上は保護費を削られる。
その闘いは今も続いている。これまで支援してくれていた京都府の社会福祉士さんは金銭的にこれ以上私の支援が難しいと言う。支援が途切れれば、後は私は孤独に闘うしかない。自分一人はいつか人々の前から消え去り忘れ去られる定めかもしれない。しかし、それでもなお諦めない人々と、残りの人生、貧しい人々を見捨てない人々と共に、民主主義を守り、闘っていこうと思う。
冬に冷え込む山深い高山市では女子が素足でスカートという姿では寒い。しかし創立130年をかぞえる斐太高校では校則でストッキングやタイツの色は「ベージュ」のみしか認められていない。女子生徒はベージュのストッキングを履くのは恥ずかしいということから寒くても素足を選ぶ苦しみを感じていた。恥ずかしく感じない黒のストッキングを履きたいのに、校則がそれを許さない。
そこで生徒会は校長に校則変更を認めて欲しいと申し出たが、滝村昌也校長は「どれだけの人がそれを望んでいるのが分からないから認められない」と拒否回答した。
そこで生徒会は生徒と保護者向けのアンケートを取り、1300人余りの回答を得て、9割近くの「校則改正賛成」の結果を得た。ところが校長は「見た目については主観の問題で校則改正は認められない」として改めて改正拒否したのだった。
ここからの放送部分に描かれるストーリーが私には理解不能だった。これは「理不尽な校則」という主題よりも「(一校長の主観による)理不尽な拒否」という主題にすべき案件である。校長は「校則を覆すだけの理由が出てこなかった」と述べているが「覆さないだけの理由がどこにあると?」と問い返すのがジャーナリズムなのではないか?
最終的に校則は校長から「保護者と卒業生を交えた校則を検討する会議」を設置してそこで審議されて校則改正したとして生徒の喜ぶ姿を描いて終わるのだが、そもそも改正を求めた「生徒会」は民主的な選挙で選ばれている限り正当な代表者である。正当な代表者の正当な請求を何でその場で思いついたような、どういう正当な手続で選んだか不透明な「卒業生代表」という一握りの人を加える必要があったのか。
今年(2020年)53歳になる見込みの私の経験を持ち出すのは古すぎると言われるだろうが、同じ日本国憲法と国際人権規約の下で生きている主権者として私の育った母校の民主主義と比べて生徒達の大人に対する従順すぎる行動が不思議でならない。私は今の母校がどうなっているかについては語る情報を持っていない。しかし私が生きた時代の母校、岩手県立盛岡第一高等学校と、弘前大学北鷹寮という二つの自治会を経験した者として、人一倍民主主義には熱意を持ってその時代を生きていた自負はある。
今の盛岡一高に修学旅行が復活しているかどうか知らないが、私の時代にも修学旅行は無かった。決して進学校だから遊ばせられないという理由で修学旅行が無いわけではない。かつて盛岡一高にも修学旅行はあった。教師の側からその行き先を「京都」と強要してきて、生徒会側は「京都は進学すれば行く所だからわざわざ修学旅行で行く意味がない」とそれを拒絶した。「それなら修学旅行を中止するぞ」と教師側が脅したのに反発して「脅しに屈する訳にはいかない。中止するならどうぞ中止せよ。我々は京都に行かない。」という教師vs生徒会の激しい喧嘩の末に修学旅行が無くなったのだ。
学校行事はそもそも生徒会が全て企画運営していた。校則はあったが「1)制服を着用すること。2)法律を守ること。」程度の内容しか書かれていない。校訓は「忠実自彊、質実剛健」であり、大人に屈するようなヤワな生き方をしないことが伝統であった。髪の毛の長さも色もスカートの長さも問われない。女子が化粧していようとそんなことでとやかく教師側から言われない。自主自立(自律)の精神で生きる校風が守られていた。だから岐阜県立斐太高校のような問題などそもそも最初のアンケートを校長が拒絶した時点で生徒がストライキして抵抗するぐらいの気概があった。
そして私の過ごした弘前大学北鷹(ほくおう)寮という自治会も同様である。他の大学の学生寮とか、勤め先の社員寮などで、設置者の決めた規則を守る以外に居住権を得られないところは多いかもしれない。しかし京都大学の吉田寮同様、学生の自主自立(自律)な自治会が寮則を定め、行事を運営し、入寮希望者の選定を行う「自治寮」であった。男子寮として他に北溟(ほくめい)寮、女子寮として朋(ほう)寮の3寮合わせて学生寮自治会連合(寮連)を結成し、寮連は大学が学内の問題を協議する際に正当な学生側交渉代表としての位置付けに組み込まれていた。昔は全国学生寮連合とかいう「全寮連」の組織に参加していたが、全寮連が明らかに一政党の下部組織となっていたことから、私たちが入寮して以降、全寮連を脱退して独立した学生寮に変わった歴史を持っている。私は結果的にそこで北鷹寮の第42期寮長として寮の行事決定に関する大きな方針変更を行い、その議論の際には反対派学生から殴るとか刃物を突き立てられるような激しい反発を受けるほどの抵抗を受けた。そこまでして守った自治会への自負は大きい。
京大吉田寮も老朽化した寮の建て替えに関して大学側と揉めている。学生寮に限らず、立て看板でも権力者側から撤去の圧力を受けている。それを跳ね返すほどの動きが市民の中に拡がらない。京都市長選もほぼ半分の人たちが棄権した。民主主義を守る為に香港の若者達は立ち上がり強大な中華人民共和国の共産党一党支配と闘っている。私が大学生時代には天安門事件もあった。台湾(中華民国)では総統選で一国二制度を拒絶する蔡英文総統が引き続き選挙で勝っている。翻って日本では権力者に逆らうことが罪であるかのような国民性が染みこんでいて半数以上が選挙を棄権する。中小企業は「経営者は自民党を応援するのが当然」という珍妙な経営者マインドに囚われて安倍晋三のポスターを職場に掲げて営業する。そしてみすみす不景気を20年以上も続けて倒産して行く。
自分の足で立ち上がり、自分の意志で自分の運命を決められない、空気を読むという風任せな無責任な生き方で良いのか?大学合格するかしないかばかり注目して、大学を卒業出来るかどうかは気にしない(卒業させてもらえるのが当たり前と思って就活に励む)風潮はおかしくないか?大学側も就職の世話をする係を用意している。そもそも学生が真っ当に学び研究しなければ卒業さえ危ういという切迫感があれば大学の講義を休んで就活したり、内定式に出たりしないもの。大学卒業者の新卒一括採用で、同期との比較を気にし、自分より若い者が上に立つことに不平を抱き、女が男より上に立つことぐらいで働く意欲を失う奴ら。ずっとそんな人間達と闘ってきた。
今、国会では違法行為・違憲行為に走る安倍政権を誰も止められないでいる。彼は自分の与える利益で懐く一部の友人達と宴会三昧。一つ前のメキシコ大統領とかマルコス元フィリピン大統領のような豪邸生活を楽しみ、庶民のおにぎり一つにさえ10円の罰金をかけて吸い上げる。
私は今、生活保護世帯だ。働く意欲はあって、私のような障害者でも障害者枠で受けられる公務員試験に応募した。しかし富士宮市福祉事務所は私の受験を妨害し、生活保護制度で備わっている就職活動にかかる旅費宿泊費の支給を拒んで受験を不可能にした。自ら働いて生活を賄うことを妨害しながら、なけなしの保護費で故障した洗濯機や冷蔵庫という大金を払わなければ買えない生活必需品を自力で賄えと強いる。何かのサービスで得られる一回数円相当の買い物のポイントを現金化しただけでもそれを1円の単位で申告する義務を負わせている。月8千円まではそういう自力で得た収入は保護費を削らずに追加収入として認められるがそれ以上は保護費を削られる。
その闘いは今も続いている。これまで支援してくれていた京都府の社会福祉士さんは金銭的にこれ以上私の支援が難しいと言う。支援が途切れれば、後は私は孤独に闘うしかない。自分一人はいつか人々の前から消え去り忘れ去られる定めかもしれない。しかし、それでもなお諦めない人々と、残りの人生、貧しい人々を見捨てない人々と共に、民主主義を守り、闘っていこうと思う。
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